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​授業レポート

まちあるき~呉・天応地区編~豪雨災害から4年半、地域に息づくコミュニティ(11/3)、開催しました


2022/11/3(木・祝)、〜呉・天応(てんのう)地区編〜豪雨災害から4年半、地域に息づくコミュニティを開催しました。


集合場所は、呉ポートピアパーク管理棟にある「くれボランティアNPO支援センター」でした。

ここは1992年から98年までは呉ポートピアランドという遊園地でした。現在は公園になり、週末はたくさんの親子を中心に賑わいます。こども館の図書室にはWiFiと電源もあります。スペインのリゾート地をモチーフに造られた名残のヨーロッパ風の建築がコスプレイヤーの撮影にも人気です。


授業コーディネーターの木村静です。私は、2018年7月、西日本豪雨災害が起きた翌年に広島に越してきました。毎年災害が起こるなかで、改めて当時を知り、備えたいと思い防災まち歩きを企画しました。


私の話を聞いた仲間が、自分の出身地・呉でもまち歩きを開催したいと、呉の地域コーディネーター小野香澄(おの・かずみ)さんを紹介してくださり、今回の企画が生まれました。


今回歩いた呉市の天応地区は、呉市の西の端にあり人口3,700人ほどです。

この地区は、西日本豪雨で大規模な土石流により12人の方が亡くなり、鉄道と道路が寸断され孤立した場所です。


小野さんは当時、呉市中心部でボランティアセンター立ち上げの仕事をしていました。

天応地区に比べて呉中心部は、一部で断水はありましたが、被害を受けなかった地域も多くありました。にもかかわらず、夜の街は閑散として飲食店の営業も苦しそうだということで、小野さんは、ボランティアの方に「夜の美味しい楽しい呉も楽しんで帰ってくださいね」とボランティアセンターにポスター掲示をして呼びかけたそうです。


田岡菜見子(たおか・なみこ)さんは天応地区で生まれ育ち、被災後はFacebookページ「がんばろう天応」を立ち上げ、8月から12月まで、ボランティアで支援してくださる方向けに、天応地区のボランティアセンター(天応サテライト)や天応の魅力的な住民さんの情報を発信しました。


田岡さんご自身は、豪雨災害の3ヶ月前にUターンし休養中だったこともあり、被災後すぐ天応地区の住民向けのLINEグループを立ち上げ、通れる道、給水ポイント、不足物資の情報を共有しました。

「LINEグループは、立ち上げ当日に100人、翌日には400人と、まるで”ねずみ講”のように!?広まっていった」という言葉に、緊急時の情報共有の大切さを感じました。当時、地域の皆さんからは「LINEの主(ぬし)」とも呼ばれていたそうです。


「天応は、私にとっては山も海もあっていろいろ遊べる大好きな場所です。天応の良さも含めてご案内しますね!」と田岡さんのナビゲートでいよいよ出発です。


最初に、呉ポートピアパークに隣接するフェリーの待合室周辺へ。ここは仮設住宅があった場所です。今は左奥に復興住宅が建っています。


仮設住宅に住む方はどうしても引きこもりがちになるので、家を出て快適に過ごせるよう、良品計画と連携して呉ポートピアパークの子ども図書館を改修する事業も、小野さんが担当されたそうです。改修後のスペースで行った、ピザ屋さんのシェフによるピザづくりが盛り上がったお話も素敵でした。


海沿いを歩いてポートピアパークに戻ります。天応地区は、鉄道も高速道路も寸断されたため、一時期はこの港からの船が唯一の交通手段でした。船は江田島経由で広島市内に出られます。


壁画を制作している天応在住のアーティストこだまこずえさんのお話を聞きました。工事中の柵の壁面を活用して地域の子どもや高校生の参加型作品の制作をしています。こだまさんは、豪雨災害後は子ども向けワークショップなどの活動をされていました。

JR天応駅にも天応地区の皆さんと制作した大きな壁画があります。

制作の模様はこだまさんのYoutubeでも見られます。


天応ふれあい集会所の駐車場では毎週木曜日に八百屋、魚屋、パン屋が出店するマーケットが行われています。きっかけは、やはり西日本豪雨災害でした。被災が少なかった地元の方が支援物資を持ち寄って自主的な被災者支援活動が始まった場所です。


マーケットを主催する「つなごう@天応」の井上聡美さんのお話を聞きました。

「閉店したこの地域のスーパーの階段は座布団が敷いてあって井戸端会議ができる場所でした。それをここで再現したくてベンチを置きました。くつろいでってほしいんです」


集会所の向かいの田中八幡神社の境内へ。鳥居も土砂で壊れてしまい、石川県の石材屋さんがボランティアで直してくださったそうです。


井上さんの活動は、被災した方への食事支援から始まりました。使い捨てではない食器を並べたいと、使っていない食器の持参を周囲に呼びかけたというお話から、避難生活の様子がリアルに思い浮かびました。


今、集会所は、駄菓子屋さん、子ども食堂、婦人のお茶会など、地域の方や子供たちが集まる場所となっています。


神社に向かって右手側を見下ろしたところです。ここは当時、土砂と水で埋まってしまいました。


紅葉色づいた神社の境内で井上さんを囲んでパチリ。穏やかな日差しでした。


一気に山を登り見晴らしの良いところへ。田岡さんおすすめの天応の風景を堪能します。


険しい坂道を登りきった開放感。


山の上では砂防ダムの建設が進んでいました。


旧天応中学校の校庭です。被災する前日まで授業が行われていました。


田岡さんは、この中学校出身です。参加者にもこの中学校出身の方がいて、被災後は先生が代表して校舎に残る荷物を取りにいったこと、小学校の空き教室で授業を再開したことなど詳しいお話が聞けました。


そして一気に下ります。この大屋大川が土石流で氾濫しました。


最後の立ち寄りスポットは天応めぐみ園。大人の肩近くまで土砂がきて、被災後に建て替えたそうです。


天応市民センターで振り返り。それぞれ心に残ったキーワードを書いて共有しました。


皆さんの心に残ったキーワードです。

田岡さんと井上さんが被災直後の地域内のネットワークの広がり方を比喩的に表現した「ねずみ講」が印象に残った方がお二人いました。注)実際に「ねずみ講」があったわけではありません。



今回のまち歩きコースは小野さんと田岡さんによりGoogleマップにまとめられています。

被災時の写真入りで、歩きながら当時の様子を確認できます。

Googleマイマップ(ジン大 天応まち歩き)


講座概要


次回のまちあるきは、2023年春に開催予定です。


文・木村静(授業コーディネーター)

写真・佐藤孝志・大田真奈・平尾順平




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